「顔面紅潮」させた金正恩が、ある側近を葬った一部始終
李炳哲氏は前から3列目に立っており、最前列に並んだ政治局常務委員会のメンバーからは外されたもようだ。また、朴正天氏は2列目に並んでいるものの、軍服の階級章から、元帥から次帥に降格されたことがわかる。
それでもこうして公式行事に姿を現したことで、「粛清だけは免れた」と見る向きがある。本当にそうだろうか?
金正恩氏は党政治局拡大会議で、「国家と人民の安全に大きな危機を醸成する重大事件」が起きたとまで言った。李氏と朴氏がその責任を問われるのだとすれば、処刑されてもおかしくはない。それに、失脚後に公式行事に姿を現し、「復権した」と見られながら姿を消した元高官の前例もある。
かつて、軍総政治局長として「北朝鮮のナンバー2」と見られていた黄炳瑞(ファン・ビョンソ)氏は2017年10月、公式の場から姿を消した。同11月には韓国の情報機関・国家情報院が国会情報委員会に対し、「党に対する不純な態度を問われ処罰されたもよう」と報告した。
しかし翌年2月16日、北朝鮮メディアが報じた写真にその姿が確認され、6月には金正恩氏の地方視察に同行。さらに8月の視察同行時には、肩書が「党中央委員会第1副部長」となっていた。ところが、黄炳瑞氏は同年12月3日付の報道に登場したのを最後に、完全に姿を消した。
韓国紙・東亜日報の敏腕記者で、脱北者でもあるチュ・ソンハ氏は自身のブログで、黄炳瑞氏は処刑された可能性が高いとし、その経緯について次のように伝えた。
(参考記事:【写真】玄永哲氏の銃殺で使用の「高射銃」、人体が跡形もなく吹き飛び…)
チュ氏によれば、黄炳瑞氏の転落のきっかけは2017年10月12日に行われた、あるエリート養成校の創立70周年行事での出来事だった。記念行事に参加した金正恩氏は、施設を見て回り芸術公演を鑑賞した後、運動場に出た。ところが、こうしたイベントに付き物の体育行事が準備されていなかった。
金正恩氏は隣にいた黄炳瑞氏に、「なぜ体育行事を行わないのか」と質問。当時68歳だった黄炳瑞氏は33歳の金正恩氏に対し、あたふたした様子で「中央党(党中央委員会)と相談してそのようにした」と答えた。
この回答に金正恩氏は「中央党が、お前が相談すべき相手か」と怒りを露に出し、顔を紅潮させて車で走り去ったという。
体育行事を見られなかったことが、どうしてそれほど金正恩氏の気に障ったのかはわからない。黄炳瑞氏はその現場で、さらなる失態を演じたのかもしれない。
いずれにせよ北朝鮮においては、一時は権勢を誇った最高幹部が、あるひとつの失敗をきっかけに失脚し、表面的には復権しながら、最終的には闇から闇へ葬られる例があるということだ。李氏と朴氏の運命がどうなるかを見極めるには、もうしばらく注視する必要があるだろう。