北朝鮮に「強制帰国」させられたある外交官の悲劇

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北朝鮮の外交官がイタリアで数週間前から行方不明になり、亡命した可能性が取り沙汰されている。韓国の情報機関、国家情報院の説明に基づく報道によれば、行方不明になっているのはイタリアのローマに駐在していた北朝鮮のチョ・ソンギル代理大使。妻とともに11月初めから姿を消したという。チョ氏は1月で任期が切れる予定だったとされる。

仮にチョ氏が亡命したのだとすると、昨年から朝鮮半島に漂う雪解けムードを思えば、意外な感じがするかもしれない。しかし実際のところ、北朝鮮の外交官が亡命を決断する場合、その理由は国際情勢よりは国内での事情にあることの方が多い。

北朝鮮の外交官は日々、国内からの脅威にさらされ続けている。任務を全うできなかったり、あるいは任務を全うする過程で不適切な姿勢・態度があったと見咎められたりすれば、粛清の憂き目に遭いかねないのだ。

韓国に亡命した太永浩(テ・ヨンホ)元駐英北朝鮮公使の著書『3階書記室の暗号』には、本国の家族が無実の罪で拷問死させられたうえに欧州の勤務地から帰国を強制され、粛清された外交官――P氏のエピソードが紹介されている。

同書によれば、北朝鮮は粛清する外交官を帰国させる際、対象者が1人であっても、複数の外交官をいっしょに呼び寄せるという。またその際、どの人物が粛清の対象者であるかを、誰にも告げない。そうすれば、「自分ではない」と信じたい外交官らが相互に監視し合う形になるため、逃亡を防止することができるからだ。

同書で紹介されたP氏のケースもそうだった。P氏が帰国させられた際、同行したのが太永浩氏だったのだ。

P氏が帰国させられた理由は、1990年代の大粛清「深化組事件」で実父がスパイ容疑に問われたためだが、それはとんでもない濡れ衣だった。

ある軍需工場の党委員会書記を務めていたP氏の父は1990年代半ばの大飢饉「苦難の行軍」に際し、工場労働者の食糧問題を解決するため妙案をひねり出した。砲弾の製造に伴って発生する金属の削り粉を中国に輸出し、その代金で食糧を購入したのだ。そして、その窓口となった貿易担当者の横領が発覚したのを受けて、P氏の父はその担当者を解任する。それを恨んだ貿易担当者が、P氏の父は韓国のスパイであるとウソの告発を行ったのである。

このように、庶民を思って行動した幹部が処罰された例は、この時代にあちこちで起きていた。

またそのようなウソがまかり通ってしまうほど、「深化組事件」とはムチャクチャな出来事であり、北朝鮮社会が大飢饉の中で、それほど混乱していたということだ。

P氏は1998年2月の帰国後、外務省と平壌から追い出され、地方に放逐された。このようにして夫が粛清される場合、妻は離婚することで平壌に残ることも出来るが、P氏の夫人は夫と運命を共にすることを選んだという。

その後、2000年になり、金正日総書記は「深化組事件」の不当性を認め、被害者の復権を指示した。P氏も外交官に復帰し、在スウェーデン大使館に派遣されたという。しかし、これはまだ幸運なケースであり、政治犯収容所に送られようものなら、生きて帰って来れるかどうかわからない。処刑されてしまう場合もある。

北朝鮮の外交官は常に、「一寸先は闇」の中を歩んでいるわけだ。

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