金正恩が演出した「処刑場の妊婦」の残酷ショー
死刑を免れた被告やその家族が、卒倒せんばかりに泣き崩れたであろうことは想像に難くない。
北朝鮮は金正日政権期まで、最高指導者を神秘的なベールで覆い、その権威を庶民から遠く離れたところに置いていた。しかし金正恩政権になってからは、様相が変わった。先代までと異なって、視察にはファーストレディを帯同し、その様子を国内メディアで公開した。報道される金正恩氏の表情も、怒ったり泣いたり笑ったりと様々になった。
つまりは「あけっぴろげな自己PR」が、金正恩氏の宣伝戦略の特徴と言えるのだ。(参考記事:女性芸能人たちを「失禁」させた金正恩氏の残酷ショー)
しかし今までのところ、北朝鮮から漏れ伝わる庶民の評価の中に、「金正恩元帥様は慈悲深い」といった声はひとつも見当たらない。先々代や先代の最高指導者よりも、さらに残虐と言える公開処刑を乱発しているのだから当たり前だろう。
また、先代の最高指導者だった故金正日総書記は、派手な女性遍歴で知られる。明らかになっているだけでも5人の女性が彼の妻(あるいは愛人)となり、うち4人が彼の子どもを生んでいるが、妻たち以外に何人の女性と関係を持っていたかについては、推測に基づく数字すら出ていない。しかし、世間によく知られた人物もいる。絶世の美女と言われた女優の禹仁姫(ウ・イニ)氏がそうだ。
著名な脚本家である夫のリュ・ホソンとの間に2人あるいは3人の娘をもうけていた彼女は、非常に開放的な性格の女性だったという。
日本出身の男
そして、高級幹部や裕福な日本からの帰国者たちの間では、彼女と様々な男性の噂が絶えなかった。
60〜70年代、北朝鮮映画界にトップスターとして君臨していた禹仁姫(ウ・イニ)氏の愛人の1人が、日本出身の帰国者で、平壌市普通江(ポトンガン)区域新原洞(シノンドン)に住んでいたA氏だ。彼の父親は在日本朝鮮人総連合会系の商工団体幹部だった。
一説によると、父親はトラブルメーカーだった息子の性根を叩き直したい一心で、金日成主席に頼み込み、A氏を北朝鮮に送り込んだと伝えられている。
すべてを「酒と女」に
一方、脱北者で、朝鮮日報の記者を務めた姜哲煥(カン・チョラン)氏はA氏の「ドラ息子説」を否定している。