政治犯収容所などでの拷問・性的暴行・公開処刑の恐怖

  • キム・ヒョク氏も、皆が収容所のことを知っていたと述べたが、内部で何が起きているか、収容者の生活がどうなっているかの具体的内容は知らなかったと語った。
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「私たちは、いったん入ったら出られないことを知っていた。皆がそのことを知っていた。[政治犯収容所に]送られるときに正式な手続は取られず、一家が一夜でいなくなると、[政治犯収容所に]送られたのだと推測した。」

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当局は北朝鮮の政治犯収容所の存在をかたくなに否定している。政治犯収容所は、1980年代後半から国際人権団体が報告しているにもかかわらず、その存在が国家秘密とされている。当局は外界から政治犯収容所の詳細を隠蔽するため、多大な努力を払っている。収容所は軍事施設や農場を装っており、身元確認済みの一部の担当者以外は入ることができない。収容所への人権団体の立ち入りが認められたことはない。

内部の秘密用語でも、収容所は「管理所」と呼ばれている。収容者たちは「移住民」と呼ばれる。国家保安省の収容所管理部局(第7部)は「農場部」として知られている。秘密証言によれば、北朝鮮外交官は収容所の存在を認めないように厳命されている。

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看守、釈放された収容者、収容所の近隣地域は、収容所に関する情報を漏らすと厳罰に処すと脅されている。その顕著な例として、武力紛争や革命が発生したときには収容所が存在したことの証拠隠滅のため全収容者を殺害するように収容所当局に命令が出されている。最初の命令は金日成自身が出したと考えられ、その後、金正日が再確認している。

  • アン・ミョンチョル氏の証言によれば、戦争になったときには看守は収容所の存在の「すべての証拠を抹消するため」、収容者を「消去する」ことになっている。他の収容所の元看守および担当官に対する調査委員会の秘密聞取調査でも、同じ・命令が確認された。アン氏および他の証人も、この命令の実施計画が存在すると証言し、多数の収容者を短時間で殺害する演習もあったと述べた。
  • キム・ユンチョル氏は脱北後、第15政治犯収容所での3年間の抑留生活の公表を始めた。当局は関係者処罰方針に従って同氏の兄弟を処刑し報復した。この悲劇により姉妹は自殺している。

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