【画像】「炎に包まれる兵士」北朝鮮、ICBM発射で死亡事故か…米メディア報道
そもそも北朝鮮では、このような人災が繰り返し起きている。
(参考記事:北朝鮮、橋崩壊で「500人死亡」現場の地獄絵図)【目撃談】北朝鮮ミサイル工場「1000人死亡」爆発事故の阿鼻叫喚
米国の北朝鮮専門ニュースサイト、NKニュースが最近、事故発生当時に江界在住だった脱北者の証言を引用し、事故の顛末を詳しく報じている。
150キロ先から見えた火炎
証言したのは、当時江界市の食糧配給の指導員として働いていたコ・チョンソン氏だ。その内容は次のようなものだ。
1991年11月30日。夜勤を終えたばかりの26号工場の組み立て班の班長、タク・チョンサンは疲れ切っていた。彼が火薬を乱暴に扱ったことで、午前9時半ごろ、小規模の爆発が起き、火の手が上がった。
歩哨に立っていた若い女性が消防に通報し、保安署(警察署)も出動した。現場に派遣された60人の保安員(警察官)は3組に分かれて、地下の工場へとつながる鉄製のドアを閉じようとした。