【実録 北朝鮮ヤクザの世界】28歳で頂点に立った伝説の男

「北朝鮮にも腕っぷしが強くて徒党を組む愚連隊のような連中をはじめ、裏社会の人間はいる。実際、俺自身が裏社会の人を通じて北朝鮮を脱出できたわけだからね。ただ、日本のヤクザみたいに巨大で組織的じゃないね」

そう語るのは60代半ばの脱北者、崔勇男(チェ・ヨンナム)さん。1970年代に大阪から北朝鮮へ帰国した崔さんは、かの国の現実に絶望し、2008年に脱出。命がけの逃避行の末に、生まれ故郷の日本に生還した。

「北朝鮮のヤクザ」と言われても、にわかにイメージしづらい。なぜなら、北朝鮮には「人民保安部(警察)」「国家安全保衛部(秘密警察)」、そして「朝鮮人民軍」という3つの強大な治安機関があり、「ヤクザ」や「不満分子」など反社会的勢力に対する徹底的な監視体制を敷いているからだ。

軍隊も一目置く

そもそも北朝鮮という国家自体が、麻薬や偽札などなど、ヤクザ顔負けの違法行為に手を染めている。さらには複数の国家機関が、違法な「シノギ」をめぐって仁義なき戦いを繰り広げている。こんな国では到底ヤクザなんて存在できるはずがないと思われるが、やはり北朝鮮にもヤクザは存在した。そのなかには、「愚連隊」に過ぎなかった不良グループが拡大し、組織化された武闘集団になった例もある。1991年、北朝鮮のある都市でソク・ギョンチョル(仮名)という28歳の青年が軍人に射殺される事件が起きた。彼こそ、地元住民が恐れ警察や軍隊でさえ一目置いたという「ソク・グループ」を率いるヤクザの親玉だった。弱冠28歳でヤクザの親玉まで上り詰めたソクとは何者か――。

ソクは高校時代から喧嘩自慢で素行が悪く、近隣の若者達から恐れられる存在だった。盗みを働いて警察に逮捕されることも数知れず。その度に、地元の有力者だった父親のおかげで罪を逃れていた。

恐怖政治で国民を押さえつける北朝鮮当局や、秩序を重んじる大人からは忌み嫌われたソク。しかし、若い不良連中からは「強い漢(おとこ)」として尊敬を集め、ソクの周りには喧嘩自慢の若者達が徐々に集まりはじめる。

「普段の生活は、国が決めた思想学習会や組織活動でがんじがらめ。大した娯楽もなく、日頃の楽しみと言えば酒やコソッと内輪でやるバクチぐらい。そんな社会でエネルギーをもてあます若いヤツらが徒党を組んで喧嘩や反社会的な行為に走るのは、当然だろう」(崔さん)

暴力性でライバルを圧倒

高校を卒業したソクは軍隊の入隊を希望するが、日頃からの「素行不良」がたたって入隊できなかった。もちろん、大学にも行けるはずのないソクは、否応なしに企業所(国営企業)に所属する。しかし、そこで働いて得られるのは日々の生活が精一杯の月給と配給のみ。

軍隊に入隊できず、やけくそ気味のソクは、徐々に企業所にも出勤しなくなる。無断欠勤が続けば、罰を与えられるケースもあるが、そこは賄賂や父親のコネでなんとか逃れられたようだ。

そんなソクを中心に、自然発生的に愚連隊のようなグループが出来ていく。となると当然のように、他の愚連隊との間で対立や抗争も起きる。ソク・グループは荒っぽさで他の愚連隊を凌駕し始め、その名前は他の地域でも響き渡るようになる。ソク・グループと衝突した愚連隊は、後々の報復を恐れて敢えて喧嘩を避けたり、わざと負けることもあった。

また、「団結力」と「義理」を重んじるソクという人間を慕って、彼の元に集まる荒くれ者も増えていき、次第にソク・グループは、「愚連隊」の枠を超えていく。

「韓国の男は頼りない」

ところで、ソクや彼のような不良連中は、北朝鮮の女性の目にはどう映っていたのだろうか。北朝鮮の女性として真っ先に思い浮かぶのが、日本や韓国でも話題となった「北朝鮮美女応援団」。彼女たちのような、しとやかで清楚な北朝鮮女性達からすれば、ソクみたいな無頼者はさぞかし毛嫌いされる存在だったに違いない——と思いきや、意外とそうではなかった。

「直接は知らないけど、ソクという人の噂は聞いたことがあります。女子には相当モテたと思いますよ。北朝鮮にも不良男子にあこがれる女子はいますから」

そう語るのは2010年に脱北して現在は韓国・ソウルに住む李京花(イ・キョンファ)さん(50代)。ソクの名が轟いていた頃に、10代後半の多感な時期を過ごした李さんは、自分の少女時代を懐かしむかのように言葉を続けた。

「北朝鮮では、韓国以上に男子は『男らしさ』が求められるので、年頃の女子が不良に憧れるのもなんとなくわかる気がする。不良が嫌いだった私でも、こっち(韓国)に来てから韓国の男子が頼りなくていらいらする時もあるぐらい。『北朝鮮の男を見習え!』って(笑)」

カネより貴重なもの

勢力が拡大していったソク・グループは、喧嘩に明け暮れるだけでなく、日本で言う「シノギ」のような収入源も手にした。最も大きなシノギはあらゆるトラブルの「仲裁」。度々起こる他の愚連隊同士の抗争や勢力争い。解決しにくい個人間のトラブルが起こった場合は、ソクの出番だ。仲裁して解決し、その見返りとして「酒」「食べ物」「衣類」などを受け取る。

金銭ではなく、物資で報酬をもらうという点が興味深いが、このあたりは当時の北朝鮮社会の実情を反映している。物資が圧倒的に不足している北朝鮮で、生活必需品はヤミ市場で売買すれば、十分「現金」になる。

実際、ソクのようなヤクザだけでなく、一般住民、そして党の幹部や軍人さえも国家から支給された物資をヤミ市場に横流しして金品に換えるのだ。時と場合によって「物資」は「現金」以上に信頼できる交換手段だ。

ソク・グループは、食糧倉庫などを衝撃し、物資を盗むこともあった。もちろん、下手を打って構成員が逮捕され「教化所」に送られることもある。

激しい拷問

日本の刑務所にあたる北朝鮮の教化所は、想像を絶する厳しい拘置施設だ。日本や諸外国のような「受刑者の人権」がない教化所では拷問も日常茶飯事だ。ソク・グループの構成員も厳しい拷問にさらされたことは容易に想像できる。

しかし、団結力が強くソクとの義理を命のように重んじる構成員達は、厳しい拷問にも耐えながら決して組織のことはしゃべらなかった。また、ソク自身もグループが大きくなり組織化していくにつれ、現場に出ることは希となり、警察もなかなか尻尾をつかむことができなかった。

正確な数字は不明だが、最終的にソク・グループの規模は100人から200人に達したと言われている。ソクは既に愚連隊のリーダーというより、ヤクザの親分のような存在になっていた。その姿には、愚連隊から出発して「安藤組」を起こした「安藤昇」のイメージが重なる。

軍人と衝突

しかし、そんなソクにも最期の時が訪れる。ある日、ソクが子分を引き連れて町を歩いていると、朝鮮人民軍の軍人2人が、醤油が入った大量のペットボトルを運んでいた。軍隊は統治機関でもあり、住民から最も恐れられる国家機関だが、ソクからすればお構いなしだ。ソクは彼らに話しかけた。「そのペットボトルに入っているのは酒だろう?それ飲もうぜ」

「冗談だろう?本当に飲むのか?」

笑いながら答える軍人達。すると別の子分がすごんだ。

「だから、そこに入っているのは酒だろう!だったら、俺たちにもくれや」

軍人達は、相手があのソクだということを知っていた。しかし、こんな風に因縁をつけられて引き下がっては、軍隊のメンツにかかわる。声を荒げてソク達を罵倒しはじめた。

「お前はバカか?軍人が真っ昼間から酒を持ち歩くわけがないだろう。ここに入っているのは醤油だぜ」

「醤油だと?何をバカなことを言っているんだ。フザけるな!」

振り向きざまに銃を…

たわいのない言い争いだったが、お互いが馬鹿にされたと思い込んだことから、軍人とソク達の間で喧嘩が始まった。ソク側は4人で対する軍人は2人。形勢不利と見た軍人達は、慌てて逃げ出し始めた。彼らを追いかけるソクのグループ。そのとき、軍人は振り向きざまに腰から銃を抜き出し、構えながら叫んだ。

「お前達、止まれ!止まらなければ撃つぞ!」

銃を向けられて、さすがにソク以外の構成員は逃げ散っていった。しかし、逆に面子を失った思ったのか、ソクの怒りは収まらない。銃をかまえる軍人達に近づいたソクは、手に握りしめていたナイフを振りかざし彼らに投げつけた。投げられたナイフが軍人達の足下にのめり込んだその瞬間・・・

「パン!パン!」

身の危険を感じた軍人が発砲。銃弾2発がソクの胸を直撃し、彼は胸を血だらけにしてその場に倒れこんだ。即死だった。

激怒した構成員たち

ソクが死んだという噂は、その日のうちにグループの構成員達や住民の間に広まった。親分を射殺され、怒り心頭の構成員達は報復のため結集しようとしたが、事前にそれを察知した警察は、騒ぎの拡大を恐れてソクの両親にこう言った。

「葬式が行われれば騒ぎが大きくなるかもしれない。静かに埋葬して欲しい」

警察による厳戒のなか、ソクが埋葬される日に数百人の構成員達はその場に集結した。そして、彼らはこう胸に誓ったという。

「絶対にヤツら(軍人達)に復讐してやる!」

ソクを射殺した軍人が所属する部隊はグループの報復を恐れて24時間体制の非常警戒を敷いた。さらに、ソク射殺事件に関わった2人の軍人は、他の部隊に転属させられた。振り上げた拳の落としどころを失ったソク・グループは、徐々に構成員同士が内輪もめと分裂を繰り返し、数年後には自然消滅してしまった。

金正日による一斉検挙

ソク・グループは、あくまでも地域の愚連隊が拡大し、自然とヤクザに発展していったケースだったが、国家機関と癒着しながら裏の別働隊として利権をシノギにするヤクザ組織も存在していた。彼らは「パッキ派(車輪派)」「カマギ派(カラス派)」「ケスンニャンイ派(朝鮮狼派)」「ケントル派(悪党派)」「カルメギ派(カモメ派)」などと名乗り暗躍していた。

しかし1992年、金正日総書記は「非社会主義検閲団」という組織を派遣して一斉検挙を行い、北朝鮮のヤクザは完全に壊滅させられてしまう。

北朝鮮ではヤクザのことを「チュモクセゲ」、直訳すると「拳の世界」という。非常にわかりやすいネーミングだ。本レポートの主人公、ソク・ギョンチョルのイメージにもピタリとはまる。彼が率いたグループは、愚連隊から出発し、200人規模のヤクザ組織に発展していったケースだった。

その一方、国家機関と「紳士協定」を結び――すなわち癒着しながら利権をシノギにするヤクザ組織も存在していた。1995年に文藝春秋から発刊された『北朝鮮不良日記』(白栄吉著、李英和訳)には、知られざる北朝鮮ヤクザ事情が紹介されている。白氏は、北朝鮮の南部に位置する平安南道安州市のヤクザ組織「パッキ派(車輪派)」の元幹部。パッキ派の構成員は約200人で安州最大の組織だった。

独特のオーラ

16年ほど前、白栄吉(ペク・ヨンギル)氏と会って北朝鮮のヤクザ事情について話を聞いたことがある。

ヤクザやアウトローと会う機会が少なかった私にとっては恐る恐るの面会だったが、彼の第一印象をひと言で表すと「紳士」だ。現在、韓国社会には3万人近い脱北者がいる。彼らは、今でこそ様々な政治運動に参加して、母国である北朝鮮へ政治的メッセージを送っているが、2000年当時は脱北者の数もそれほど多くはなかった。また、韓国社会からは「北朝鮮から来た厄介者」のように扱われ、肩身の狭い思いをしていた。プライドを傷つけられて自信を失い、社会と他社を警戒する屈折した心理を持つ人がほとんどだった。

しかし、白氏は明らかに他の脱北者達と違った。堂々とした態度で、かつ紳士的で必要以上に自分を誇示しない。酒を飲んでも決して乱れない。自慢話や苦労話を披露するわけでもなく、淡々と会話を続ける。

「義理」の2文字

ただ、そこには修羅場をくぐってきた人物独特のオーラ、そして己の腕一本で生きてきたという自信が満ちあふれていた。そんな白氏の生き様と武勇伝にちょっとだけ耳を傾けてみよう。

「ヤクザ=刺青」

そんな先入観を持つ私が「刺青」について尋ねると、彼はこう語った。「俺たちのパッキ派には12人の幹部がいたが、結束の強さを示すために『義理(ウィリ)』という文字を彫り込んだね。」

「義理」の刺青とはなかなか粋だが、これはあくまでもパッキ派という特定組織の幹部の証だ。ヤクザ組織によって刺青の絵柄や刻まれている文字はまったく異なるという。なかには刀の絵を描いて「復讐」の文字を彫ったもの、リンゴに矢が刺さっている絵柄・・・さまざまなものがあった。

ちなみにヤクザでなくとも、北朝鮮にはちょっとした刺青のある男性が少なくない。「1987」のように軍隊に入隊した年を彫ったり、朝鮮独特の政治スローガン「自力更生」などの文字を入れたりする。

白氏は、元々は朝鮮労働党員の裕福な家庭で生まれたそうだが、父親が職場の事故で亡くなったことにより、生活は一変する。「北朝鮮には『成分』という身分制度がある。親父は職場での事故死だったので成分は上がった。しかし、親父がそれまで党員として学校や地域にはかっていた便宜がなくなった。そこから、手のひらを返すように俺に対する周りの態度が変わったんだよ」

それまではエリート街道に乗り、学校でも学級長だった白氏だが、この経験を通じて「体制は裏切る」ことを本能的に知る。

この頃から表の顔を保つ一方で、裏側では腕っぷしの強い人間を集めて、愚連隊を組織していく。これが自然と拡大して「パッキ派」というヤクザ組織に発展していった。

父の影響力はなくなったが、成分のおかげでそれなりにいい職種に就いた白氏は、裏社会での影響力もどんどん強めていった。表の肩書きも裏社会の拡大のために積極的に利用していった。

表と裏の顔を使い分ける

しかし、覚せい剤などの薬物には手を染めなかったという。「主なシノギは砂金や古銭を含む骨董品の密売だった。これを北朝鮮の全国から買い集めて華僑や元在日朝鮮人帰国者に売って利ざやを稼ぐ。俺がいた安州にはパッキ派、カマギ(カラス)派、ケスンニャンイ(朝鮮狼)派、ヒョンサ(刑事)派の四つの組織があり、少し離れた新安州にはケントル(悪党)派を名乗る一派もあった」

このことからわかるように、白氏は、自らのシノギについて独特の美学を持っていたようだ。そうした裏ビジネスで稼いだ金で白氏は、さらに組織を拡大させていく。

社会の隅々まで監視が行き届いている北朝鮮で、果たしてそのような組織が存在しうるのかという疑問も出てこようが、1980年代には「表の社会」と「裏の社会」、すなわち「表の労働党」と「裏のヤクザ」が、うまく棲み分けられていたという。

金正日の弾圧

ところが、この紳士協定は1992年に破られる。「1980年代中頃から北朝鮮経済の悪化によって、政府公認の商店から急速に商品が消えていった。この惨状を見たヤクザのなかには義憤に駆られて反政府活動をもくろんだ人間もいた。これを危険視した金正日がヤクザ組織に対して弾圧をはじめたんだ」

金正日氏は、「非社会主義検閲団」を組織して、ヤクザ組織壊滅作戦を開始。白氏の「パッキ派」が強いといえども、規模はせいぜい200人から300人。国家権力による弾圧にはさすがに敵わなかった。

「俺は裏のビジネスでは決して証拠を残さなかったが、『逮捕ありき』だからひとたまりもなかった。まあ、北朝鮮当局からすれば、悪行は数知れずだから」

女ヤクザ「火狐」

彼の逮捕容疑は香港のギャング映画や韓国映画、『ランボー』をはじめとするハリウッド映画などのビデオテープを保有していた「非社会主義」の容疑だった。こうしたものに触れると、西側の退廃的な文化に汚染された政治犯と見なされ、厳しい処罰を受ける。取り調べでは過酷な拷問を受けたものの、決して口を割らなかった。それどころか、ハンガーストライキまで決行したという。断食で衰弱すれば病院に収容され、逃亡のチャンスが作れるからだ。虎視眈々と逃亡のチャンスをうかがうなか、ある日、組織のボスが面会に訪れた。衰弱した様子を心配しながら、ボスは意味ありげに差し入れのパンをわたした。実は、そのパンの中には、メモが仕込まれていたのだ。

「今晩12時、襲撃に行くから待っていろ」

派手な立ち回りで逃亡が困難になることを恐れた白氏は、監視員に「女が来るから少し外してくれよ。あとでお礼ははずむから」などと言いくるめて、まんまとボスの手引きで脱出することに成功。その後は、ボスのアドバイスで、ある女性の所へ身を寄せたという。

韓国人の弟分

その女性とは、以前から彼と顔見知りだった女愚連隊長のヨンヒ。通り名は「火狐(プルヨウ)」。涼しげな目元と筋の通った鼻が魅力的だったという「火狐」は、指名手配犯である自分を匿うことを心配する白氏に向かってこう言い放った。「見損なわないで!3ヶ月で、あなたを元の姿にして送り出してあげるよ」

脱獄したヤクザを、肝の据わった女愚連隊長が助ける――まるで映画のような出来すぎたストーリーだ。まだ、義理と人情が生きていた1990年代の北朝鮮社会らしい話である。また、国家権力とは一線を画し、腕っぷしを頼りに生きるオトコの姿は、母性本能を呼び覚ますものだったのかもしれない。

その後、体調を回復した白氏は、韓国行きを決意。まだ、脱北が一般的ではなかった当時にあっさりと韓国行きを決意したのは、彼に「どこでも生き抜ける」タフさが備わっていたからに他ならない。

韓国へ入国した白氏は、自らの力で商売をはじめ、それなりに成功していた。すでに韓国人の弟分を従えていて貫禄をつけていた彼に聞いてみた。

「組織を再建したい」

「韓国に来てからの暮らしぶりはどうですか?」貧しい北朝鮮から韓国へ来て、自由と豊かさを満喫していると思いきや、意外な答えが返ってきた。

「つまらない……。確かにソウルは豊かで、人々は好きなように生きられる。しかし、俺には『人生短く太く生きる』のが合っている。北朝鮮からは逃げたが、あの当時のヒリヒリした毎日の方が満ち足りていた」

北朝鮮という修羅場をくぐり抜けてきた人間にとって、平和なソウルの町は物足りないようだ。

「もし、北朝鮮の体制に変化があればどうしたいですか?」

ヤミ市場で復活

「俺は、政治については興味がないんだよ。もうパッキ派は瓦解して仲間もバラバラになってしまった。それでも、あの国に自由ができれば、また戻って仲間を呼び戻して組織を再建したい。それがいつになるかはわからないがね・・・」彼の言葉には、独裁体制のなかで生き抜いてきた究極のリアリズム、そして政治や思想という「建前の世界」から自由でありたいというアウトロー独特の矜持が感じられた。

白氏が語ったように、1992年からの取締によって既存のヤクザ組織は壊滅するが、その後は北朝鮮が未曾有の社会危機に襲われたことによって、裏社会もそれどころではなかったようだ。

北朝鮮は1995年頃から「苦難の行軍」と言われる経済危機に突入する。それまで一日食いつなぐのに精一杯だった配給や国営企業での月給が絶たれることによって、数十万人から100万人もの餓死者が出た。

状況が変わり始めるのは2000年頃からだ。国営企業が本来の役割を果たせない中、住民達、特にアジュンマ(家庭の主婦)が中心になって、ヤミ市場を拡大させていく。

覚せい剤の蔓延

北朝鮮政府もなんとかヤミ市場をコントロールしようとするが、絶対的なモノ不足のために結果的に追認せざるをえなくなる。このヤミ市場を中心として、しばらくはなりを潜めていた「ヤクザ」達が復活したようだ。ヤミ市場で売られている商品は主に生活物資だが、そこではやはり「違法なビジネス」の温床となっていく。さらにヤミ市場で売られる商品のほとんどが中国製。つまり、中国との交易が拡大することによって、様々な利権とシノギが生じるのは不可避だ。

代表的な違法ビジネスは、やはり覚せい剤の密輸。北朝鮮で製造された覚せい剤――通称オルム(氷)――は、以前は中国が主な取引先だった。中国を通じて、日本やロシア、その他の国々に流通していたのだ。

しかし、中国側が覚せい剤を国家的に問題視したことにより、北朝鮮当局も取締をきつくせざるをえなくなり、密輸も難しくなった。

ヤクザの暗躍

その結果、余剰した覚せい剤が、今度は北朝鮮国内で出回ってしまう。そもそも医薬品不足の北朝鮮では、覚せい剤は鎮痛剤のような感覚で一般の人々の間でも使われている。また、ヤミ市場を通じて「商売をして金を儲けること」を学んだ北朝鮮人は、密輸だけではなく、飲み屋、売春宿、ビリヤード場など、様々なサービス業を営み始めた。この裏で「ヤクザが暗躍しつつある」と語るのは、連載の1回目でも登場した崔勇男さんだ。

「愚連隊というより、市場を通じて稼ごうとするヤクザが増えているという噂は聞く。北朝鮮のヤクザも、かつては堅気にはあまり手を出さなかった。しかし、市場経済が広まるなかで、一般住民のなかにヤクザが入り込んでいくことは避けられないだろう」

任侠ヤクザから経済ヤクザへ——―日本のヤクザ事情と同じく、北朝鮮の「ヤクザ事情」も日々変化しているのだ。(了)