金正恩体制を育てた北朝鮮「女人天下」の知られざる深奥(1)

謎の長身美女「金雪松」の正体

もっとも読まれている記事:北朝鮮の15歳少女「見せしめ強制体験」の生々しい場面
北朝鮮の金正日総書記が2011年12月17日に死亡してから、もうすぐ丸6年となる。その後継として誕生した金正恩体制はこの間、対外的には核兵器開発を巡り米国との対立を激化させ、国内では恐怖政治の刃を無慈悲に振るいながらも、統治の盤石化に成功しているように見える。

金正恩党委員長は1984年1月生まれとされているから、国家の最高指導者になったときには30歳にもなっていなかったわけだ。それほどの若さで父親からの権力継承に成功できたのは、正恩氏の陰に強力な「後見役」がいたからであるのは間違いなかろう。ただ、それが誰であるかを外側からうかがい知るのは、簡単なことではない。

そんな中、正恩氏の権力継承に最も大きく貢献した人物として、2人の女性の名前を挙げる専門家がいる。その女性とは、ひとりは金正日氏の実妹にして、正恩氏の叔母である金慶喜(キム・ギョンヒ)氏。もうひとりは、金正日氏の次女で、正恩氏の腹違いの姉である金雪松(キム・ソルソン)氏である。

複雑な女性関係

長らく朝鮮労働党幹部を務め、兄の統治を補佐した金慶喜氏は、北朝鮮の内外で広く知られた人物だ。一方、金雪松氏は謎に包まれている。金正日氏が外遊に出た際、彼女と思しき随行員の姿を見た外国人から「長身の美女」などとする証言が出たことはある。また、有能な秘書として父親から大きな信頼を得ていたとの情報も、漏れ伝わってはいる。しかし、その動静が公式に伝えられたことはなく、北朝鮮メディアへの登場も皆無だ。

いったい、金雪松とはどのような人物なのか。

上記2人の女性の重要度を強調しているのは、脱北者で、韓国のNGO・北朝鮮戦略情報センター(NKSIS)代表の李潤傑(イ・ユンゴル)氏だ。北朝鮮において護衛司令部傘下の青岩山(チョンアムサン)研究所に所属していた李氏は、平壌の中枢人事に精通。2012年に「金正日の遺書」を入手して公開するなど、北朝鮮の秘密の数々を暴いてきた。

(参考記事:美貌の女性らが主導…北朝鮮芸術家「ポルノ撮影」事件の真相

李氏は金雪松氏について、次のように語る。

「金雪松は1972年12月30日、金正日と彼の正妻・金英淑(キム・ヨンスク)の間に生まれました。金正日はそれまでに、洪一茜(ホン・イルチョン)という女性との間に娘を1人もうけており、金雪松は次女ということになります。また、長男の金正男氏もすでに生まれていました。ただ、金正日が正式に結婚したのは後にも先にも金英淑ただひとりでした。そのため金雪松は周囲から、長女としての待遇を受けることになりました」

李氏が語っているように、金正日の女性関係は複雑だ。長男・金正男氏を生んだ成恵琳(ソン・ヘリム)氏も、正恩氏を生んだ高ヨンヒ氏も内縁関係のままだった。それが北朝鮮の権力の構図を複雑にしてきた部分があるのだが、内容が煩雑になるので、ここでは敢えて触れないことにする。

(参考記事:金正日の女性関係、数知れぬ犠牲者たち

完璧な英語力

続けて、金雪松氏に関する李氏の説明を聞こう。

「金正日は内妻たちとの間で1男1女をもうけながら、父である金日成主席はそのことを隠していました。そのため金日成にとっては、金雪松こそが『初孫』だったのです。金日成はこの孫娘を溺愛し、しばしば幼い金雪松を膝の上に乗せたまま国政会議に臨んだと言われます。 そのような環境の中、金雪松は聡明な女性に育ちました。高級幹部専用の幼稚園に通った後、特別な家庭教師たちから初等教育を受け、その後は地中海の島国・マルタで英語を学んだほか、欧州各国で6~7年の留学を経験したようです。そのおかげで英語を完璧に話し、フランス語とスペイン語も自在に操る語学力を身につけた」

留学を終えて帰国した金雪松氏は、金正日氏の娘であるという身分を隠し、一般の学生たちとともに大学生活を送ったという。

「国内ではまず、康盤石(カンバンソク)遺子女大学の3年に編入し、1992年9月から1993年4月末まで党建設と財政経済学を学びました。続いて1993年9月から1994年2月まで、金日成総合大学社会学部政治経済学科で6カ月間の特別コースを履修しました。2回目の大学在学時には、生物学も同時に学んでいます」

別人の写真

ちなみに康盤石遺子女大学は、革命家の遺児たちを党や国家の幹部候補として育てる女子大学だ。金雪松氏はここに、韓国に対する工作活動中に死亡した両親の子どもとして入学したという。ちなみに李氏が入手した情報によれば、正恩氏も身分を隠して兵役に就いたことがあるが、その時に使われた偽の経歴も、これと同様のものだった。

(参考記事:金正恩氏は「シゴキ」と「パシリ」を経験した…謎の軍隊生活秘話

李氏が続ける。

「金雪松は大学で、相当に優秀な成績を収めたということです。さらに特筆すべきは、設備の行き届かない北朝鮮の学生寮で、寒い冬の日に冷水で衣類を手洗いするなどしながら、一般の学生たちとまったく同じように生活していたということです。性格も快活で格式張らず、誰にでも気安く接した。このときに近しくなった友人たちとは、彼女が国家の重要な役割を担うようになってからも関係を保っているようです」

ちなみに、金雪松の名前をインターネットで検索すると、ある女性の写真が出てくる(画像)。李氏によれば、これはまったくの別人であるということだ。

では、このようなキャラクターの金雪松氏は、いかにして正恩氏の「後見人」となるまでに至ったのか。その詳細は次回以降に見ていくことにするが、金雪松氏が金正日氏の補佐役として、父親から大きな信頼を寄せられていたのは前述したとおりだ。

さらに、李氏が入手して公表した「金正日の遺書」には、「金雪松を正恩の幇助者(助言者)として準備させ後押しするように」との言葉があることを、ここで指摘して置こう。(つづく)

人気記事:北朝鮮の15歳少女「見せしめ強制体験」の生々しい場面