北朝鮮のプロパガンダを骨抜きにした「韓流と林秀卿」

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また、送り込んだ学生スパイが訓練を受けていないアマチュアスパイゆえに、勘の鋭い学生にはすぐにバレる。スパイ学生を仲間はずれにした上で韓流話に花を咲かせる。

もはや、北朝鮮のプロパガンダは逆効果になりつつあるが、過去にもこうした事例はあった。そのきっかけは1989年に北朝鮮を訪問した韓国の女子大生、林秀卿(イム・スギョン)氏だった。

北朝鮮で熱狂を呼び起こした林秀卿氏

1989年、北朝鮮は、前年に行われたソウルオリンピックに対抗するために、第13回世界青年学生祭典の開催を決め、招待状を韓国の全国大学生代表者協議会(全大協)に送った。韓国の学生を参加させるで、北朝鮮チームがボイコットしたソウルオリンピックとは違い、世界青年学生祭典こそが民族を代表する行事であると宣伝する意図があった。

1987年の民主化運動で全斗煥軍事政権が倒れた後だったが、韓国政府の許可なく北朝鮮と関わり合いを持つことは、今とは比べ物にならないほど厳しく禁じられていた時代である。それでも全大協は、林秀卿氏を北朝鮮に派遣することに決め、彼女は東京、ベルリン、モスクワを経て平壌に到着した。