北朝鮮「骨と皮だけの女性兵士」が走った禁断の行為

北朝鮮では防空部隊を中心に、多くの女性が兵役に就いている。

北朝鮮社会の他の部門と同様、軍内での女性の地位は低く、男性上官による性的虐待も横行している。金正恩党委員長は最近、そうした問題の根絶を指示したとされるが、女性兵士らを苦しめているのは性的虐待だけではない。

食べ物が欲しくて…

咸鏡北道(ハムギョンブクト)のデイリーNK内部情報筋によれば、道内の清津(チョンジン)市に駐屯する高射銃部隊の女性兵士たちが、飢えに苦しんだ挙句、禁断の行為に走り大問題になっているという。舞台となったのは道内の穏城(オンソン)郡だ。情報筋によれば、問題の女性兵士らはひどい栄養失調に陥り、体調を回復させるため一時的に隊を離れ、師団が管理する現地の農場に派遣されていたという。(参考記事:北朝鮮女性を苦しめる「マダラス」と呼ばれる性上納行為

「女性兵士らは栄養失調でやつれ、ほとんど『骨と皮』だけに近い状態だったようだ。最初は地域住民に食べ物を分けてもらっていたが、それが出来なくなると盗みを働くようになった」(情報筋)

性的虐待がまん延

北朝鮮では、最近でこそ一部で改善が見られるものの、軍内で物資の横流しによる食糧不足が慢性化し、飢えた兵士が盗みや強盗に走る現象が多発している。
(参考記事:【スクープ撮】人質を盾に抵抗する脱北兵士、逮捕の瞬間!)これ自体が国防上の重大な問題だが、今回の女性兵士の件はそれに加え、さらに大きなダメージを軍に与えかねない。

情報筋によれば、4月に穏城郡に派遣されてきた女性兵士らは当初、住民から食べ物をもらうため、交換で軍服や地下足袋、さらには背嚢など軍の支給品を差し出していた。軍用品は耐久性に優れているため、農民の間でも人気が高い。地域の人々は喜んでコメやジャガイモを与えていた。(参考記事:【動画あり】炎天下の虐待「シゴキ」を受ける北朝鮮兵士たち

しかしそうなると、女性兵士らは必然、貧弱な姿で農作業に出ることになる。これを見た住民らは、「最近の軍はあの有様なのか」と考え、我が子を軍に送るまいとする決意を固くしているという。

国防力の低下につながる

先に述べたとおり、北朝鮮の軍内では性的虐待や飢えがまん延している。そんなところに大切なわが子を送りたいと思う親がいるはずもなく、兵役忌避のためあらゆる手段を講じる親たちが少なくないという。北朝鮮軍は少子化のため、ただでさえ兵員数が減少していると言われる。そこに重なる兵役忌避は、国防力を低下させる深刻な問題なのだ。(参考記事:ひとりで女性兵士30人を暴行した北朝鮮軍の中隊長

そして、物々交換に差し出すものがなくなった女性兵士たちは、遂には民家に忍び込み、ニワトリやヤギを盗むに至った。地域住民と軍との間でトラブルになり、軍に対する国民の信頼を大きく傷つけることになったのは言うまでもない。

女性に対する人権侵害はこれだけではない。

「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面

北朝鮮の人権問題を追及している民間団体が北朝鮮国内で公開処刑が行われた場所などを示したマップを作成し、2021年12月15日に報告書を発表した。

韓国・ソウルに本部を置く「転換期正義ワーキンググループ(Transitional Justice Working Group=TJWG)」は、北朝鮮の政権が行っている人権侵害を記録することで、そのような行為をやめるよう警告すると同時に、将来的な加害者の法的処罰の可能性を高める目的で、このプロジェクトを進めてきた。報告書の発表は、2017年7月と2019年6月に続き3回目。

「金正恩期の処刑マッピング」と題された今回の報告書では、脱北者の証言442件を分析。国際社会の監視の目を避け、国境から離れた場所で公開処刑を行っていることなど、金正恩政権期になって見られるようになった特徴を列挙している。

最も残虐な処刑

その中に、いかにも金正恩総書記が好みそうな演出がなされた例がある。
報告書で言及された目撃証言によると、その出来事は2013年頃のある日、首都・平壌の近郊で起きた。一度に16人が公開裁判に引き出されたことがあったというが、各自の罪状はつまびらかでない。

いずれにせよ、死刑判決が予想される重罪だったようだ。公開処刑が頻繁に行われる河川敷などで判決が言い渡される場合、被告も見守る人々も、銃殺刑が即時執行されると考え緊張する。もしかしたら被告らも、それ以前に公開処刑を見せられたことがあったかもしれない。

例えば同年8月、姜健総合軍官学校の射撃場で銀河水管弦楽団と旺載山(ワンジェサン)芸術団のメンバーら9人が銃殺された例がある。銀河水(ウナス)管弦楽団は、金正恩総書記の夫人である李雪主(リ・ソルチュ)氏がかつて所属していた楽団だ。

機関銃でズタズタに

処刑されたメンバーらは、ソルチュ氏に「元カレ」がいたことを示す「証拠写真」を回し見したとされ、これが、罪に問われたと言われている。脱北者出身で、韓国紙・東亜日報記者のチュ・ソンハ氏によれば、メンバーらは丸太に縛り付けられ、1人に対しAK47自動小銃から90発が撃ち込まれたという。口径7.62ミリの小銃弾を90発も浴びせたら、人体は文字通りズタズタになる。

当局はその様子を、射撃場に集めた芸術関係者数千人に見せつけた。前列で見ることを強要された女性歌手らの中に、失禁しなかった者はいなかったという。

そして当局はさらに、芸術関係者たちに死体を近くで見るよう強要した。「彼らが、数日前まで一緒に笑い合っていた友人や同僚の血と肉片を踏みながら感じた恐怖を、いかに文章で表現できようか」と、チュ記者は書いている。

それにしても、人々がこれほど無残に殺されねばならないほどの「証拠写真」とは、どのようなものだったのか。
チュ記者は、「内幕を良く知る脱北者によれば、ソルチュが学生時代の彼氏といっしょに、万景台少年宮殿の隣の芝生の上で肩を抱き合って撮ったものらしい」と説明している。他愛もないものだ。こんなことが、人間が殺される理由になどなり得ない。

いずれにしても、北朝鮮にはこうした残酷な場面を見せつけられた経験を持つ人が少なくないのだ。

しかし、本題に戻ると、件の公開裁判では、死刑判決は6人に対してのみ言い渡された。

ファーストレディも

ほかの10人に対して当局者は「罪がないからではなく、『最高指導者(金正恩氏)の許し』により処罰しない」旨を宣言したという。現場にいた人々は驚愕した。残酷きわまりない公開処刑の場を、金正恩氏の「慈悲深さ」をアピールするショーの舞台に変えたのだ。これと同時期、別の都市でも女性15人を引き出した公開裁判で、似たようなことがあったという。

死刑を免れた被告やその家族が、卒倒せんばかりに泣き崩れたであろうことは想像に難くない。

北朝鮮は金正日政権期まで、最高指導者を神秘的なベールで覆い、その権威を庶民から遠く離れたところに置いていた。しかし金正恩政権になってからは、様相が変わった。先代までと異なって、視察にはファーストレディを帯同し、その様子を国内メディアで公開した。報道される金正恩氏の表情も、怒ったり泣いたり笑ったりと様々になった。

つまりは「あけっぴろげな自己PR」が、金正恩氏の宣伝戦略の特徴と言えるのだ。(参考記事:女性芸能人たちを「失禁」させた金正恩氏の残酷ショー

しかし今までのところ、北朝鮮から漏れ伝わる庶民の評価の中に、「金正恩元帥様は慈悲深い」といった声はひとつも見当たらない。先々代や先代の最高指導者よりも、さらに残虐と言える公開処刑を乱発しているのだから当たり前だろう。

また、先代の最高指導者だった故金正日総書記は、派手な女性遍歴で知られる。明らかになっているだけでも5人の女性が彼の妻(あるいは愛人)となり、うち4人が彼の子どもを生んでいるが、妻たち以外に何人の女性と関係を持っていたかについては、推測に基づく数字すら出ていない。しかし、世間によく知られた人物もいる。絶世の美女と言われた女優の禹仁姫(ウ・イニ)氏がそうだ。

著名な脚本家である夫のリュ・ホソンとの間に2人あるいは3人の娘をもうけていた彼女は、非常に開放的な性格の女性だったという。

日本出身の男

そして、高級幹部や裕福な日本からの帰国者たちの間では、彼女と様々な男性の噂が絶えなかった。

60〜70年代、北朝鮮映画界にトップスターとして君臨していた禹仁姫(ウ・イニ)氏の愛人の1人が、日本出身の帰国者で、平壌市普通江(ポトンガン)区域新原洞(シノンドン)に住んでいたA氏だ。彼の父親は在日本朝鮮人総連合会系の商工団体幹部だった。

一説によると、父親はトラブルメーカーだった息子の性根を叩き直したい一心で、金日成主席に頼み込み、A氏を北朝鮮に送り込んだと伝えられている。

すべてを「酒と女」に

一方、脱北者で、朝鮮日報の記者を務めた姜哲煥(カン・チョラン)氏はA氏の「ドラ息子説」を否定している。京都に住んでいた姜氏の家族は、A氏と同じ船に乗って帰国した縁で親しく付き合い、とくに姜氏の伯父は、金日成総合大学哲学科でA氏と同期だったという。A氏は誠実かつ勉強熱心で、誰よりも北朝鮮での暮らしに適応していたと姜氏は語っている。

ところが、父親が甘やかしたからか、北朝鮮での暮らしが予想以上にストレスの強いものだったからか、A氏は徐々に堕落していったという。金日成氏からもらった平壌市内の高給マンションに住み、父親から送られてくる生活費はすべて酒と女に費やしていた。

「高級服」で誘い出す

金日成氏はより多くの外貨を確保するために、日本からの帰国者に限り、自家用車の所有を認めた。A氏は父親のカネで買ったベンツを乗り回していた。また、彼の父親が、北朝鮮の放送設備を最新式の日本製に入れ替えたことへの褒美として、A氏は朝鮮中央テレビの技術部長のポストに就けられた。放送技術については全くの門外漢だったにもかかわらずだ。A氏は1980年2月、外貨商店で売られていた高級服をネタにして禹仁姫氏を誘い出した。そして2人は、中央テレビの駐車場に停めたベンツの車内で事におよんだ。事はあっさりと終わり、2人はヒーターをつけっぱなしにした状態で眠り込んでしまった。

翌朝、A氏が姿を見せないことに気づいた局員が表に出た。そして、駐車場に停められた車の中で、半裸のA氏が死んでいるのを発見した。隣にいた禹仁姫氏は、病院に運ばれ、なんとか一命をとりとめた。

A氏の父親は「うちの息子を生きて返せ。さもなくば資金提供をやめる」と言って激怒したと伝えられている。

父にバレるのを恐れ

健康を取り戻した禹仁姫氏は、取り調べを受けることになった。ところが彼女の口からはは、それまでに関係を持ったという党、軍、撮影所の幹部ら数十人の名前が次から次へと出てきた。そして、「金正日同志に会わせてほしい」と繰り返し懇願した。金正日氏の名前を出せば、彼が助けてくれると思ったのだろう。

一方の金正日氏は、禹仁姫氏との関係が父である金日成氏にバレることを恐れていた。同時に成蕙琳氏と高ヨンヒ氏も、放っておけばいつ禹仁姫のようなことをするかわからないと考えるようになった。

後継者に指名され、多忙を極めていた彼は、3人の女性を「管理」するのは無理だと考えたのだ。

恐怖に駆られた金正日氏は禹仁姫氏を処刑することにした。そして、それをほかの2人の女性に見せれば、恐ろしくなり、おとなしくするだろうと考えたのだ。禹仁姫氏は「浮華罪(スキャンダル罪)」という罪状で、映画界や芸術関係者が見守る中で銃殺された。

姜哲煥氏は、韓国の朝鮮日報の記事に、次のように記している。

実際にこの処刑を目撃した脱北者が2人いる。ダンサーのシン・ヨンヒと北朝鮮第2科学出版社政治扇動部で記者を務めていたキム・ギルソンだ。

何のことかわからないまま集められた人々は、禹仁姫氏の姿を見て唖然とした。やがて「裁判」の名の下に罪状の読み上げが始まり、彼女は、夫と娘の目の前で自動小銃で銃殺された。あまりに酷い有様に、夫と娘はそれから数日、魂が抜けたようにぼーっとしていたという。

禹仁姫氏の娘のその後について詳細はわかっていないが「私は党を裏切った母とは違って、党に生涯、忠誠を尽くす」と誓い、地方の工場への追放を受け入れたという説がある。それとは別に、「芸術家として暮らしている」という説もある。

夫のリュ・ホソンは、妻が銃殺されるのを目の当たりにして、気を失ったと伝えられている。妻の浮気に耐えかねて何度も離婚しようとしたが、なかなか認められずに臍(ほぞ)を噛む思いをしていたところで、妻は銃殺されたのだ。

彼は地方に送られたが、演出家としての優れた才能を惜しんだ金正日氏により平壌に呼び戻された。

北朝鮮を代表するイデオローグで、1997年に韓国に亡命した黄長燁(ファン・ジャンヨプ)元党書記の秘書を務めたキム・ヘスク氏は、著書『悲運を予告する』で、禹仁姫氏の銃殺について次のように描写している。

私たち放送芸術団の団員はバスに乗せられた。ピクニックにでも行くとばかり思っていた。ところが、目の当たりにしたのはあの光景だ。思い出すと未だに身震いがする。

平壌の文化芸術人がすべて集められた。彼女は思想闘争大論争大会の場に立たされていた。傍らには、夫、そして私の友達である彼女の娘2人、家族全員が座らされていた。

「反党、反革命分子、禹仁姫銃殺!」

その日、彼女が着ていたツツジの柄のジャケットは、数十発の銃弾で穴だらけで、血まみれになり、もはや形を留めていなかった。

夫は、銃殺が終わるまで頭を上げることはなかった。反省の弁を述べることを強いられた彼は「よく死んだ」と言った。

ところが長女は「私は母を恨まない。母は何でもよくしてくれた」と語った。

韓国の作家、李清(イ・チョン)は2008年、禹仁姫氏をモデルにして小説『神の女』を著した。

その中ではある放送局員の目を通して、彼女の最期の姿が描写されている。詳細は不明だが、おそらく実際に現場を見た脱北者の証言を元にしたものと思われる。その一部を紹介する。1980年代の初めの頃だったろうか。いつも通りに出勤してカバンを置いた瞬間に「全員集合」と非常招集がかけられた。

下に降りてみると、インド製のタタのバスが3台停まっていた。目的地の説明はなく、ともかくバスに乗れと言われた。バスは中央放送の局舎を出て、リョンモッ洞の方に向かった。

「どこに連れて行かれるのだろうか」
「さあ…」

すると、音楽組織部の男性が答えた。

「君たち、どこに行くか知らないのかい?」
「え?どこに行くの?」「親愛する指導者同志(金正日)のご配慮で、最近ソ連から取り寄せた特殊武器を我々だけに見せよという指示を下されたそうだ」
「え?新型武器を見に行くの?」
「そうらしいぜ。さすが指導者同志の大きな恩徳は何物にも比べられないな」

バスは、リョンモッ洞を過ぎ、兄弟山区域へと向かっていた。1時間後、我々は車から降ろされた。

「ここはどこ?」
「さあ…」
「知ってるよ。江健軍官学校の近所だよ。昔、訓練を受けたことがあるんだ」音楽編成部のキム君は、確かに江健軍官学校に通った経歴を持っていた。除隊してわが局に入局したのは3年前のことだった。

周りは低い山々に囲まれた、小さなトウモロコシ畑。新型武器を見せるにはおおよそふさわしくない場所を見て、おかしいと思った。

その場には文化芸術部はもちろん、出版報道部門の職員も全員集められていた。しかし、何が起きるかを知る者はひとりとしていなかった。

30分後、69型ジープがゆっくりした速度で入ってきた。そして軍服姿の人が数人降りてきた。すると、その場に白幕を張り始めた。畑の端には、柱が2本立てられていた。

その中に、もう1台の車が入っていった。中で何をしているのかはわからないが、何人かが行ったり来たりしていた。

しばらくすると、判事らしき人物が書類を持って人々の前に立った。

「これから、反党、反革命分子の禹仁姫に対する最終判決が下されます」

人々の間にどよめきが走った。そして、白幕が外された。あまりに予想外の光景に、皆が言葉を失った。たしかにソ連製の新型武器がそこにはあった。しかし、皆の視線は柱の方に集まった。

濃い土色のツーピースを着た女性が、柱にぐるぐる巻きにされていた。

判事らしき人物が、文書を読み上げ始めた。

「反党、反革命分子の禹仁姫は…」彼女は17歳から不倫をしていた。そして数多くの家庭を破壊した。反党、反社会主義分子につき、死刑に処すとのことだった。7人ほどの射撃手が現れた。

判事は「3発撃て!」と号令した。3発どころではなかった。1人あたり20発は撃っただろうか。

私は一番前に座っていたが、それでも彼女との距離は100メートルほどあった。彼女の表情は見えなかった。ただ、ボロキレのように変わり果てた姿が柱にくくりつけられていた。彼女の遺体は車に乗せられた。それが私が見た彼女の最期の姿だ。

(参考記事:女性芸能人たちを「失禁」させた金正恩氏の残酷ショー

北朝鮮の女優・禹仁姫(映画「春香伝」)