傷つけたら「公開処刑」も…金正恩一家「聖なる木」のトンデモ伝説

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北朝鮮の山には「スローガンの木」と呼ばれるものがある。日本の植民地支配に抵抗し抗日パルチザン活動を繰り広げていた人々が、森の中の木に祖国独立への想いを込めたスローガンを刻んだとされるものだ。

1986年、金日成氏が白頭山密営を訪れ、スローガンが刻まれた木を探せとの指示を下した。それをきっかけに、全国的にスローガンの木を探す活動が全国で展開された。発見されたスローガンには朝鮮独立を求めたものもあれば、金日成氏を指導者として称えるものや、金正日氏の生誕を祝うスローガンが刻まれた木まで存在し、金氏ファミリー神格化の材料として使われている。

そのほとんどは当局がプロパガンダ目的でねつ造したものだとされるが、北朝鮮では文化財同然の扱いを受けている。アルゴンガスを注入したガラスケースに覆われ、メンテナンス費用は1本あたり年間数千ドルとも数万ドルとも言われている。

故意にせよ事故にせよ、この木を傷つけることは重大な政治的犯罪とされ、犯人が公開処刑された事例もある。

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最近では、ある鉱山労働者が木を傷つけたことで懲役判決を受けたと、咸鏡南道(ハムギョンナムド)のデイリーNK内部情報筋が伝えてきた。

端川(タンチョン)市の検徳(コムドク)鉱業連合企業所に勤める労働者Aは、鉱山のそばの住宅地に暮らしていた。そこから2キロ離れたところには、スローガンの刻まれたカラマツの木がある。

Aは先月初め、その区域に忍び込み、あろうことかスローガンの木を切り倒してしまったのだ。

切り株を見つけた山林監督員は、すぐさま保衛員(秘密警察)、保安員(警察官)に知らせ、犯人探しを行った。犯行当時は雨がやんだ直後で地面が濡れており、切った木を引きずった跡が残っていた。それが住宅地の方に続いていた。それをたどったところ、Aの家にたどり着いた。庭からスローガンの木が発見されたため、お縄となった。Aは、切ったスローガンの木を薪として利用していたという。

実はこのような「不敬事件」は度々発生しているが、「犯行」は木を切る音が聞こえない大雨の中など行われるため、捜査を行っても犯人はなかなか捕まらないという。未解決事件となれば、全責任を警備員と山林監督員が負わされる。

Aには強化刑(懲役)5年の判決が言い渡された。それも「見せしめとして重罰に処した」とのことだ。かつては「3代が滅ぼされる」(脱北者)と言われるほどの重罪だったスローガンの木の破損だが、理由は不明ながら以前ほどは厳しい処分にならないようだ。

2010年の9月と12月に、両江道の金正淑(キムジョンスク)郡で、新坡(シンパ)革命史跡館のスローガンの木十数本が放火で焼失し、郡の朝鮮労働党責任書紀、革命戦跡地管理総局長、保衛部(秘密警察)、保安署(警察署)の幹部らが逮捕される事件が起きている。

(参考記事:北朝鮮でスローガンの木十数本が放火で焼失、地方幹部らが逮捕

2007年7月には、咸鏡北道の延社(ヨンサ)郡で、スローガンの木を伐採して中国に売り払い、その利益で別荘を建て女性をはべらせてベンツを乗り回すなど、贅沢三昧の暮らしをしていた外貨稼ぎ機関の地方責任者が、公開処刑されている。

(参考記事:北朝鮮「スローガンの木」を切った幹部を公開銃殺

一方で、木を守るために命を投げ出した人々は称賛される。

1998年、咸鏡南道(ハムギョンナムド)にあるムジェボンという山で、山火事が起き、スローガンの木が危機に瀕した。消火活動に投入された海軍兵士のうち、17人が死亡、3人が大やけどを負う大惨事となったが、当局はこの出来事を忠誠心を高めるためのキャンペーンとして利用した。

(参考記事:人命より「革命の聖なる木」を大切にする北朝鮮

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