金正恩が演出した「処刑場の妊婦」の残酷ショー
「喜び組」として注目の的
1997年頃、北朝鮮映画界でスターとなった彼女は、20代後半から30代前半のとき、護衛司令部の幹部を父に持つ貿易会社の社長と結婚し、2人の息子をもうけた。美貌と知性、演技力、人気に加え、権力まで手にした彼女は、徐々に堕落してゆく。
(参考記事:【写真】女優 キム・ヘギョン――その非業の生涯)最高指導者に仕える奉仕員、喜び組のメンバーとして教育を受けた彼女は、高級幹部の間でも注目の的となった。夫や子どもを顧みず、朝鮮労働党作戦部所属の連絡所長(工作員の指揮官)など数多くの幹部と浮名を流した。浮気相手と、同棲したことすらあったようだ。
そんな彼女に最初の危機が訪れた。