政治犯収容所などでの拷問・性的暴行・公開処刑の恐怖
- 1998年から、チョンゴリの第12政治犯収容所(教化所)の多数の収容者が秘密処刑された。被害者のほとんどは「成分」が良くないか、あるいは政治関連犯罪による収容者である。収容所の環境に不平を言い、あるいは命令不服従により処刑された者もいる。証人によれば、被害者は夜に房から一人ずつ別の部屋に連れ出された。そこには収容所職員と平壌からきた人民保安省担当官がおり、虚偽の罪が宣告された。その直後に看守が被害者を選び出し、金属ワイヤーで殺害した。収容者の中の作業班長が遺体を片付けるよう命じられ、刑務所の主棟から数キロ離れた焼却炉に運んだ。このような殺害は定期的に実施されており、毎回、数人が殺害された。
どじらの秘密処刑も、1997年の金正日の指令に関連すると考えられ、この指令では、「精神を病んでいる」すべての者を除去するという安全措置が指示されていた。
- 1993年から1998年の間に、ソ連のフルンゼ陸軍学校で学んだ約250人の陸軍士官が処刑されたと報告されている。その一部がクーデターを計画したとされた。この粛清は朝鮮人民軍保安司令部が主導したものである。被害者たちは保安当局者が有罪と決定した後、裁判なしで処刑された。一部の被害者にじてはその家族も政治犯収容所に送られた。他の家族は集団処罰を免れた模様である。北朝鮮で有力な一家だったからである。