暗殺、亡命、失脚…北朝鮮空軍「中東派兵」立役者たちの運命

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第4次中東戦争によって国民的英雄になったのは、空軍司令官のムバラクであった。ムバラクは戦後、「シナイの星」勲章を授与され、1975年4月16日にはエジプト副大統領に就任している。

サーダートに反発したシャーズィリーと、サーダートに付き従ったムバラクであったが、いずれの運命も時代の波に揉まれることになる。

サーダートは、イスラエルとの和解を模索していた。1978年9月5日から17日にエジプトとアメリカ、イスラエルの首脳が会談し、エジプトとイスラエルの平和条約を締結する交渉を始めるなどの「キャンプ・デービット合意」が交わされた。

1979年3月26日にはエジプト・イスラエル平和条約が締結され、エジプトはアラブ諸国で最初にイスラエルを国家承認した。これには他のアラブ諸国だけではなく、国内の反発も大きかった。