暗殺、亡命、失脚…北朝鮮空軍「中東派兵」立役者たちの運命

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そして1981年10月6日、第4次中東戦争の戦勝記念日に行われたパレードの最中、サーダート大統領は暗殺された。

その間、サーダートによるキャンプ・デービット合意を公然と批判したシャーズィリーは、アルジェリアやロンドンへの亡命を余儀なくされていた。1979年には、サーダート批判のために回顧録『十月戦争』を発刊、その中で北朝鮮パイロットのエジプト派兵について詳しい内容を明らかにした。

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しかし、そのために彼は、軍事機密漏洩の罪によって欠席裁判にかけられ、3年の懲役刑を受けた。『十月戦争』は発禁となり、英語版の抄訳のみがわずかに知られるだけとなった。シャーズィリーは政治の表舞台から退いたのである。

それとは逆にムバラクは、サーダート暗殺後の1981年10月14日、エジプト大統領に就任した。ムバラクはサーダートの遺志を継いで、アメリカやイスラエルとの関係を維持し続けた。第4次中東戦争を共に戦ったシャーズィリーとムバラクは、全く異なる道を歩んでいた。1992年にエジプトに帰国したシャーズィリーは収監され、服役後も隠遁生活を余儀なくされる。