「文在寅一派はこうして腐敗した」韓国知識人”反旗のベストセラー”が暴く闇

8月末に韓国で発売されたベストセラー対談集『一度も経験したことのない国』の話題が、最近になり日本でも紹介されている。2週間早く発売された『検察改革とロウソク市民』というタイトルの本が別名「曺国(チョ・グク)白書」と呼ばれるのに対し、同書は「曺国黒書」と呼ばれる。

「白書」は娘の不正入学や学歴の偽造、一家の不透明な投資ビジネスなどの疑惑に塗れて辞任した曺国前法相を擁護しているのに対し、「黒書」は疑惑の闇の深さと背景に光を当てようとするものだ。本の売れ行きは「黒書」の圧勝で、韓国国民の関心の向きを表していると言えるかもしれない。

「民主主義をまともに学んでいない」

『一度も経験したことのない国』の対談に参加したのは、以下の5人だ。

陳重権(チン・ジュンゴン)元東洋大学教授
徐珉 (ソ・ミン)    壇国大学教授、医学博士
カン・ヤング       TBS(交通放送)科学専門記者、元プレシアン副編集局長
キム・ギョンユル     経済民主主義21代表、元参与連帯執行委員長、会計士
クォン・ギョンエ     弁護士、元民主社会のための弁護士会(民弁)

いずれも、文在寅政権を誕生させた進歩系の言論や市民運動で活躍してきた人々だ。陳元教授は進歩系の代表的な論客で、徐教授は京郷新聞などに執筆してきた人気コラムニストだ。カン記者も著名なジャーナリストで、彼がかつて編集幹部を務めたプレシアンは、オーマイニュースと並ぶ代表的な進歩系ネット媒体である。

キム会計士は少し前まで、進歩系の有力な市民団体である参与連帯の執行委員長だった。クォン弁護士が所属していた民弁も、強力な進歩系団体である。だが、曺国氏の疑惑に沈黙する日和見に失望し、両氏とも所属団体と別れを告げた。

こうした経歴からもわかるとおり、『一度も経験したことのない国』の著者たちはいずれも、文在寅政権を支える進歩勢力のインサイダーである。文在寅大統領は就任の辞で「機会は平等で、過程は公正であり、結果は正義であるでしょう」と語った。それに対して著者らは、「就任の辞とは異なり、機会は平等ではなく、過程も公正ではなく、結果はまるで正義ではなかった」として、「『一度も経験したことのない国を作って見せる』という文大統領の公約は、私たちの期待とはまったく異なる方向で実現した」と嘆いている。

(参考記事:「日本との関係をこれ以上ないほど悪化させた」韓国ベストセラーが批判

彼らの批判の矛先は、ひとり曺国氏だけに向けられているわけではない。保守政権時代の「積弊(積み重なった弊害)」清算を叫びながら、身内の罪は問わない「新積弊」の実態と、そのご都合主義と表裏をなす新たな利権構造にまで切り込んでいる。

「民主化運動をしていた」は本当か?

そして、そのような流れを主導しているのが、「586政治エリート」であるというのも看過できない事実だ。586とは、現在50代で、1980年代に主として大学生として民主化運動に参加した、1960年代生まれの世代を指す。20年ほど前には「386世代」として脚光を浴びた。現政権の李仁栄(イ・イニョン)統一相やイム・ジョンソク前大統領秘書室長、そして曺国氏らが代表選手と言える。

本の中で陳教授は、「586政治エリートは民主主義をまともに学んでいない人々」だと指摘している。どういうことか。ところどころ解説をはさみながら、徐教授、カン記者との対談の流れを追ってみよう。

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 実際、586政治エリートは民主主義をまともに学んでいない人々なんです。われわれの前の世代が志向したのは米国式の民主主義モデルでした。70年代には運動歌もぜんぶ米国の歌だったじゃないですか。「フルラソング」とか、「揺らぐことなく」とか、「われ勝利せり」とか。

その後、80年の光州(民主化運動)を経て386運動圏が急進化し、運動圏でNL(民族解放)とPD(民衆民主)のふたつの流れが形成されました。NLであれPDであれ、基本的に「ブルジョア民主主義」に対して批判的でした。国家をブルジョアの利益調整装置と見なし、民衆民主主義と民主集中制をうたいました。それは、今われわれの知る民主主義とは性格がまったく異なるんです。

NLとは民族解放(National Liberation)の略で、韓国社会は米国の植民地であるとみなし、支配勢力は米帝と下僕である軍事ファッショ政権であり、韓国社会の矛盾は帝国主義と植民地民衆の間の矛盾から生じている、とする理論を掲げた学生運動グループのことだ。もう一方のPDは民衆民主主義(People’s Democracy)の略で、韓国社会の主要な矛盾を労働者―資本家階級の対立に見出し、階級革命を通じて社会主義政権を樹立することを最終的な目標としていた。

 そうした考えを持っていた人々が、現実の社会主義が崩壊して以降も、自分の考えを修正できなかったんです。ソ連と東欧圏が倒れたとき、私は「それでは左派はこれからどうすれば良いのか?」と苦悩しながら、欧州に視線を向け、社会民主主義に関心を持つようになりました。それが様々な社会主義モデルの中で、唯一、機能し得るものとして立証され、自由民主主義の制度とも相性が良いように思われたのです。そうして自分の考えを、それなりに修正しました。ところが彼らは、そうした理念の修正過程も経ず、そのまま制度政治圏に入ってしまったのです。

(参考記事:文在寅に迫る「Xデー」…蔚山市長選挙介入事件の全貌

陳氏の言葉にも表れているように、1980年代に韓国の学生運動を主導した人々の多くは、社会主義を志向していた。これについて、韓国の人権運動家で、当時のNLの指導者のひとりだった金永煥(キム・ヨンファン)氏は自著『韓国民主化から北朝鮮民主化へ』(新幹社)の中で、次のように語っている。

「80年代に民主化運動をしていた」という言い方をする人がよくいる。だが、それが完全に率直な告白なのか疑問を持つことが多い。確かに民主化運動の外見を帯びていたが、厳密に言うならば、私たちはイデオロギー的には社会主義の指向性の方がはるかに強かった。もちろん、80年代の光州に怒り、新軍部と全斗煥政権に憤慨して学生運動を開始するのだが、サークルに足を踏み入れた瞬間から、私たちの学習カリキュラムのほとんどは、史的唯物論、マルクス主義経済学、ソビエト革命史など、社会主義に関するもの一色だった。80年代中後半の入学生からは、さらに主体思想と反米、首領論などが追加された。したがってサークルや地下組織に加入せず、一切の学習にも参加しないまま、ただ、デモ隊列の最後尾にくっついていた人ならいざ知らず、当時「運動圏生活」をしていた人が自分の過去を、ただ「民主化運動家だった」と言うのはあまり正直でない態度だ。

対談の続きを見よう。

「保守は太刀打ちできない」

カン このテーマと関連して、586政治エリートの主流が1980年代のNLグループと相当部分、重なっていると指摘しておくべきでしょう。NLグループが1980年代の学生運動で見せた様々な姿が、その後に現実の政治でも似たような形で変奏されている印象を強く受けたんです。(586世代として)直接経験された陳重権先生の意見が気になります。

 私の知る限り、PDグループは政治にはあまり行きませんでした。なぜなら階級意識が強かったからです。NLは社会主義者というよりは民族主義者なんです。戦術的には連合、統一戦線の性格が強い。多くの人々を包摂しなければならないので、大衆性がものすごく大事で、そのための訓練と経験もたくさん積んでいました。

ただしPD出身者は、韓国の労働組合のナショナルセンターである全国民主労働組合総連盟(民主労総)など、戦闘的な運動組織の中で重要な役割を果たしてもいる。文在寅政権の誕生を後押しした民主労総だが、政権との間で緊張を抱えることも少なくない。

カン そもそも民主主義に対するビジョンや、平等、公正、正義に対する自分の哲学のない集団が政権を取ったというわけですか? 理念が消え去ったのです。「統一」とか「解放」とかいった理念を、政治圏に入りながら投げ捨てて、消え去った理念のかわりに自分たちの利益を図っているのです。「革命的義理論」で団結して、互いの利益を図り合う関係になったわけです。保守がよく、彼らを「主思(チュサ)派」(主体思想派)と呼ぶけれども、チュサ派は以前あった統進党(統合進歩党)、現在の民衆党に残っているぐらいでしょう。586政治エリートは少し違うんです。昔から議長様と呼ばれながら、花籠に乗せられることに慣れた人たちなんです。彼らが持っている大衆宣伝ノウハウ、大衆組織ノウハウ、これらを基盤にした選挙ノウハウに、保守は太刀打ちできません。

NLは、85~86年頃に組織化され、PDは概ね87年の6月抗争と大統領選挙を経て運動体の形を整えたとされる。ただ、正統的なマルクス・レーニン主義を掲げたPDは、実際には70年代の運動圏においてもその萌芽があったため、NLの方が後発グループとみなされる側面があった。それでも、組織力ではNKが群を抜いていた。

「(後発である)にもかかわらず『NL』は、反米と統一を前面に押し出して韓国の青年たちの民族主義的な感受性を刺激することによって短期間で運動圏の多数を掌握した。特に、87年の6月抗争の時期に『直選制改憲』という大衆的なスローガンを掲げてデモを主導することによって、学生運動圏はもちろん、社会運動圏の上層部まで掌握し圧倒的な勢力に成長した。(中略)
既存のパンフレットは、マルクス・レーニン主義の粗野な用語で溢れかえり、まるでわざと難しく作ったかのように、自分たちの理論レベルを誇示しようとする傾向が目立った。しかし、多くの人々が評価するように『NL』は平易だった。米国が主敵であり、米国が退きさえすれば、朝鮮半島のすべての問題が解決するというように明瞭だった。意識的に難しい言葉を排除し、できるだけ易しく書こうと努力した」(金永煥、前掲書より)

「文在寅は作られた存在」

 私は586には功罪があって、特に廬武鉉政権のときには大きな役割をしたと見ています。学生運動は、自らのすべてを投げ打って、自らが信じる正義を叫ぶ行為じゃないですか。そういう彼らが政治を行い、政治圏に入るのは自然なことでしょう。そうした過程を経て政治圏に新しい人物が登場してこそ、世代交代が起きるわけですから。今の586もそのようにして大物政治家になりました。問題は彼らが急速に堕落した点にあります。

(参考記事:文在寅に迫る「Xデー」…蔚山市長選挙介入事件の全貌 今やっていることを見ていると、彼らが先頭に立って正義を叫んでいたあの人々なのかと、疑ってしまうほどです。結局586の堕落は、学生運動にも否定的な影響をもたらしました。学生運動の経歴は、もはや政治家の資格証ではなくなってしまったじゃないですか。

 進歩政権は(金大中と廬武鉉の)10年にわたり執権しました。その10年間に新しい政治家たちが輸血されたのですが、その核心が386であり、彼らが現在の既得権層になってしまったのです。金大中、廬武鉉大統領の時代には、まだ386も若かったので統制が可能でした。しかし今や586になり、頭が大きくなってしまった。それから師表であった2人(の元大統領)が亡くなった状況で、彼らが党を掌握したのです。文在寅大統領も彼らとの間に線を引くことはできません。なぜなら彼らによって作り上げられたということを、自ら知っているからです。

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気になるのは、徐教授が指摘した586政治エリートの「急速な堕落」だ。その端的な表れが曺国スキャンダルであるのは指摘するまでもないだろうが、著者らは続く対談で、586政治エリートを中心とした新保守勢力が生まれており、現在すでに、その「再生産段階」に入っていると指摘している。

(参考記事:「586世代の私益追及集団が再生産されている」韓国ベストセラーが告発

かつて韓国の「革命」を夢見た勢力が、その真逆とも言える歴史を創造しているとは、皮肉のひと言では言い表せないものを感じる。