金正恩と大阪を結ぶ奇しき血脈(3)日本への「凱旋」と「国母」の夢

1973年「朝鮮画報」に掲載された高ヨンヒ

当時、7才だった筆者は、朝鮮総連に所属していた亡父と共に公演を訪れているが、残念ながら高ヨンヒの華麗な舞については、まったく記憶にない。