政治犯収容所などでの拷問・性的暴行・公開処刑の恐怖

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収容所にはごく初歩的な治療施設しかなく、医療品、有資格担当者が不足し、重症者に死に場所を提供する程度でしかない。衛生および治療施設の圧倒的不足により伝染病が発生しやすく、飢えと疲労に苦しむ多数の収容者が死亡した。

  • アン・ミョンチョル氏は、ある収容所で伝染病が発生して200名の収容者が死亡したと述べた。飢えた収容者は菌を持っているネズミを捕食していたからである。

冬および早春(寒さが厳しく食料がない時期)には多数の死者が出た。

  • シン・ドンヒョク氏は凍える冬を、ガラスのない窓が1つある小屋で耐えた。「風が吹き込み、冬は本当に寒かった。」
  • K氏は、第11収容所の収容者は、収容所内の豚小屋の横の地面を掘って作られた藁葺の土小屋で起居していたと述べた。

キム・ヘスクさんは収容所で子どもを2人産んだが、妊娠に関する出産前その他の医療ケアは受けなかった。最初の子を産んだときには一人きりで山中で食べられる草を食べていた。生活区域に戻るときには生まれたばかりの子をぼろぎれと葉で包んで自分の体を引きずるようにして戻った。

  • 第18政治犯収容所の元収容者によれば、医療品と医師が不足していた。重病の収容者たちは特別「労働棟」に集められ、そこで死ぬまで放置された。収容者が死んでもすぐには埋葬されなかった。死体はある程度の数になるまで倉庫に置かれていた。ネズミが死体を齧ることも少なくなかった。

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