政治犯収容所などでの拷問・性的暴行・公開処刑の恐怖
5歳以上の子どもは農作業や開墾などの強制労働に従事させられた。また、国家安全保衛部(SSD)担当官による数時間の基礎教育があった。15から16歳の子どもはフルタイムで強制労働させられ、採鉱などの肉体的に苛酷な作業も免除されなかった。
- 第14収容所で収容者として生まれたシン・ドンヒョク氏は、子どもたちがほとんど教育を受けられずほとんどの時間を農作業その他の作業に費やしていたと述べた。
収容所当局は「我々を[農耕用]家畜と同じ・だと考えており、そのため教育する必要を感じ・なかった」のであろうと語っている。シン氏は15歳のときに大同江の水力発電ダム工事に割り当てられた。あるとき、大人3人と子ども5人が崩落したコンクリート壁に押しつぶされた。作業員たちは作業を続けなければならず、死体を処理できたのはシフトの終わりのときだった。シン氏は16歳から幸いにも豚小屋担当となった。これは動物飼料をこっそり入手できる可能性がある作業だった。
- K氏は第11政治犯収容所の解体時に、農作業に使用されていた小さな鎌を見つけた。現場にいた国家安全保衛部担当官からこの鎌はほとんど教育を受けさせられずに畑作業をさせられていた5歳の子が使っていたものだと聞かされ、衝撃を受けるとともに悲しみを覚えた。
- キム・ヘスクさんは15歳から第18政治犯収容所の炭鉱で働かされた。通常は3交替作業であったが、生産量を最大限にするため、じつに1日16~18時間の労働となった。男たちはつるはしとシャベルで石炭を掘り出す。女たちは袋、バケツ、石炭運搬車を使って手作業で石炭を地表に運び出す。キムさんの夫も兄弟も鉱山事故で死んだ。鉱山での他の強制労働者と同様に、キムさんは今でも黒肺塵症で苦しんでいる。
- 同じ・鉱山で労働していた別の証人によれば、全収容者に1日1トンの石炭の掘り出し運搬がノルマとされていた。ノルマを果たすため1日20時間働いた人もいた。
この証言者の推定によれば、この鉱山だけで毎年200人が死亡した。
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