脱北者に対する拷問・性的暴行・乳児殺しの実態

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大韓民国統一部によって提供された、大韓民国に入国した北朝鮮の国民の人数は、2001年から2009年まで増加傾向を示している。その後、2011年から2012年には明らかに減少した。

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ここ数年で出国した人たちの動機は、よりさまざまになってきた。2012年に行われた調査に基づくと、最近の「逃亡」の形式は、経済的理由よりむしろ、政治的理由になってきた、という点で「逃亡」は変化した、と韓国法曹協会は指摘した。さらに、家族での「逃亡」が個人での「逃亡」を上回り、これらの「逃亡」は以前より、もっと永久的なものになっているようである。

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政治的、あるいは宗教的理由での迫害を免れるため、中国へ逃亡する人もいる。

  • A氏は生き延びるための食糧を見つけるため、中国に旅し、行商にも携わった。これらの訪問中、彼はキリスト教会と接触するようになった。人民保安省が彼の訪問の理由について、拷問しながら尋問したとき、彼は永久的に中国に逃亡することを決断した。
  • 咸鏡北道出身の活動しているクリスチャンである、ある証人は2011年に北朝鮮から逃亡した。仲間のクリスチャンが処罰される前に、拷問のもと、彼女の名前を漏らしたのであった。朝鮮人民軍の陸軍保安司令部が彼女を逮捕しに来たとき、豆満江を渡って逃げたのだ。

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北朝鮮の多くの人々が2000年代にも続いた経済的困難と食糧不足のため、逃亡した。特に、中国国境近くの辺境地域では、食料の権利に対して、差別的侵害があったためである。そのような理由で逃亡した人たちの多くは低い「成分」に分類された結果、社会経済的困窮に苦しんだ。というのは彼らの祖先の政治的忠誠が疑問に付されたからである。これらの場合、なかには金を稼ぐため、限られた期間だけ、中国に行くことを計画したが、強制的に本国に送還された。送還とそれに続く罰の結果、彼らは政治的反逆者の烙印を押され、仕事の機会や住宅、その他の必需品を得られる術を残り一生失った。

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